世界トップレベルの性能を誇るスーパースポーツ。クルマ好きならそう聞いただけで誰もがワクワクしてしまうテーマなのだが、それは自動車メーカーとても同じことだ。もし事情が許すのならどこのメーカーだってそんなプロジェクトをやってみたい。
しかし現実はやっぱり厳しい。フェラーリやランボルギーニみたいなスーパーカーの老舗ブランドですら、フラッグシップモデルの生産台数はせいぜい年3桁というレベル。大メーカーほどこういう少量生産社は採算にのせにくく、せいぜいモーターショーのコンセプトモデルどまりが関の山。まず量産までたどりつかない。
そういう意味ではレクサスLFAは最近では珍しい事例だったと言えるだろう。2005年デトロイトでコンセプトモデルが初展示されたとき、量産化まで行くとは思っていなかった。しかし徐々にLFAの全貌が明らかになるにつれ、なぜトヨタがスーパーカーづくりに本気になったのかが見えてくる。めざしたのはレクサスのFシリーズの頂点であり、「世界超1級レベルの運動性能と超一流の感性と官能を持ち合わせるスーパースポーツ」として世に送り出すべく、レクサス初のスーパーカーだった。
一つにはもちろんレクサスのブランドイメージを高めるためのフラッグシップモデルとしての役割だ。この頃はレクサスが日本に正式に逆上陸するなど、レクサスブランドのグローバル展開が活気づいた時期。勝利まで後もう一歩だったF1活動と合わせて、レクサスのスポーツイメージ向上にドライブがかかっていた。
さらにもう1つ重要なのは、トヨタグループ全体として「世界最高水準のものづくり」にチャレンジする機会を持つということがあげられる。技術的に見るとLFAに斬新なところはなく、この当時のスーパーカーづくりのセオリーに忠実に従った古典的内容と言えるのだが、要素技術はコストに糸目をつけず最先端、最高級のものを集めている。ヤマハV10エンジン、アイシンA1のトランスアクスル、トヨタテクノクラフトやトヨタ自動織機の手になるCFRP性モノコック/ボディワークなど、いわばグループの総力をあげた技術オリンピック。それをトヨタグループ各社が協力して一台の車にまとめあげることにLFAプロジェクトの意義があった。残念ながら予定の500台限定生産、販売してLFAプロジェクトは終了した。