多人数乗車での長距離走行の機会が多くなるミニバンにADAS(先進安全技術)が搭載されたことは交通事故による死亡者数やヒヤリハットの減少に大きな効果が見込めるため、その点は手放しに応援したい。また、このことは少子化と超高齢化対策にADASを搭載した自動車が貢献できる好例だ。
しかし、その紹介の仕方には疑問符がつく。新型セレナを紹介するカタログやウェブサイトには「同一車線自動運転技術」という文言が謳われているが、誤解や過信を避けるため機能説明にこうした長文を使わざるを得なかったのであろうと、容易に想像がつく。
一方、TVCMでは、”やっちゃえ日産”の勢いそのままに、プロパイロットがあれば自動運転の一部が手に入るかのような演出が目に余る。
最も、商売は売れてなんぼの世界だから、魅力的な技術を搭載したらそれを最大限アピールするのは正論だ。
しかし、「自動運転」という言葉が持つ「夢」の部分だけを切り取って紹介するのは、各所に些細なミスリードの連鎖を招き、結果として正しい普及が遠のいてしまう。
自動運転技術の正しい普及への第一歩は、自動運転を形成する要素技術であるADASを、今の時代にきちんと紹介することだ。
ADASの得意/不得意分野をしっかりと明文化して声に出し、次の世代へと伝えていくことで、はじめて技術に対する夢や希望が抱けたり、過信の減少が見込めたりするのではないだろうか。