初代プリウス誕生のきっかけとなったのは意外なことにベンツのコンセプトカー。93年のフランクフルトショーに、後にAクラスとなる「ビジョンA93」が出品されたところから、プリウス開発のプロジェクトがスタートする。
プリウス、もうすぐ新型が発売されますね。燃費40.0km/Lは驚異的。そのプリウスも紆余曲折あったのでしょうが、よく頑張った、というのが正直な感想です。それでやっぱり低燃費のプリウスに乗りたい、という人が殺到することは間違いないでしょう。
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無事間に合った「21世紀のカローラ」
ビジョンA93はコンパクトな5ドアHBだったが、これを見た当時名誉会長の豊田英二さんがそのコンセプトを気に入り「こんなクルマこそうちが作るべきじゃないか?」そう経営陣に提案した。
その背景にあったのはバブル崩壊後コストダウンにばかり追われて開発力が停滞しつつあるという危機感。英二さんは「原価低減ばかりじゃ技術者が腐っちゃうだろ?」とも言ったそうで、高いハードルを設定して技術陣を活性化させることがプリウス開発のもう一つのテーマだった。
G21と名付けられたこのプロジェクトがめざしたのは21世紀のカローラ。燃費1.5倍という目標はあったが、しがらみなしにゼロベースで小型車を開発するのが主要テーマ。この段階ではまだハイブリッドは想定されていない。
ところが、技術担当副社長としてプロジェクトを統括していた和田明宏さんが燃費目標を上方修正。「燃費1.5倍ではインパクトがない。2倍を目指すぞ!」とブチ上げたからさあ大変。現場の開発責任者だった内山田竹志さん(現トヨタ会長)は困ってしまう。「燃費2倍はコンベンショナルエンジンでは無理、まだ研究中のハイブリッドが必要です。が、そうなると採算性に責任が持てません」そう返答するしかなかった。
技術陣のみならずトヨタ全体の底力が結集した果実
ここであっぱれだったのが当時の経営陣。言い出しっぺの和田さんはもちろん、豊田章一郎さん(当時会長)豊田硯さん(当時社長)などがそろって「君はコストのことは考えにでいい。ハイブリッドで行け!」と全力サポートを約束。英二さんから「内山田君、こんな面白い仕事がやれてしかも給料がもらえるなんて、わしは君がうらやましい」と言うエールを送られたそう。
あまりにも業績がいいからトヨタの経営陣は官僚的でケチと誤解されがちだが、リスクを取るべき時には果敢に攻めるのが凄いところ。内山田さんをはじめとする技術陣の努力も賞賛に値するが、大胆にリスクを引き受けたトップの決断力や、採算性向上の努力を粘り強く続けた生産部門など、プリウスの成功はやはりトヨタ全体の底力がものを言った結果と言える。初代プリウス開発はトヨタでなければ成し得なかった偉業。そう言っても過言ではないと思う。
トヨタ初代プリウス
全長☓全幅☓全高(mm) | 4278☓1695☓1490 |
ホイールベース(mm) | 2550 |
エンジン | 直4DOHC+モーター |
排気量(cc) | 1496 |
最高出力(ps/rpm) | 58/4000 |
最大トルク(kgm/rpm) | 10.4/4000 |
10.15モード燃費(km/L) | 28.0 |
新車時価格 | 215万円 |