一時の暗黒時代を乗り越え、近年イギリス車の魅力はますます向上。外国資本になっても揺るぎないパワーの源泉はどこにあるのか?
蒸気機関ではあるが、史上初めて自動車を生み出したのはフランスだし、ガソリンエンジンの自動車はドイツで生まれている。自動車の黎明期においてイギリスはいわば後発組。
そんなイギリス車が台頭する一因には、やはりロールスロイスをはじめとした超高級車がある。「自動車後進国」のイギリス車があっという間にフランスやドイツの品質を追い越した。
高品質に加え、図抜けた速さを持つに至ったイギリス車は確固たる高級車像を作り上げた。それゆえ世界の富裕層から絶大な支持を受けたわけだ。当然、現在もそうした超高級車の世界には「イギリス車らしさ」がしっかりと受け継がれているため、魅力的な車が多い。
だが戦後、現在の状況にたどり着くまで、イギリス車は想像を絶する荒波に揉まれてきた。時代が大衆車を求めると高級車を取り巻く状況は一変。おまけに1960年代以降に「英国病」が蔓延すると、イギリスの工業製品のクオリティは最低レベルの評価を受けることになる。
勤労意欲の低下した人たちが作る車は世界のあらゆるところで立ち往生するのだ。
「ルーカス車のライトが発見したもの、それは「暗闇」である」なんて話がある。つまり夜道を走っていて突然ライトが切れ、真っ暗闇になるという意味なのだが、電装品ですらこのレベルなのだ。
おまけにそうした状況から抜け出そうと国家主導による「大同団結」も行われたのだが、結果として「ダメがいくつ集まってもダメ」。
こうしてイギリス車の評価は地に堕ちるのだが、高級車作りの技はしっかりと継承されていた。レザー、ウッドパネル、極上の乗り心地、さらにスポーツ性というよき英国車の味わいは、かろうじて継承されてきた。
後はそうした伝承の技を形にするための鉄壁な資本力と盤石なる体制だけ。もちろんイギリス国内にその余力があればいいが、なければ現在のように多くの国々の組織を頼りにするしかない。
だが逆に考えれば、もし、イギリス車に投資するだけの価値も魅力もなければ、とっくに見限られているのだが、現実はしっかりと残っている。
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正しいイギリス車の筆頭はMINI
超高級車はもちろん、MINIと言った大衆車も健在だ。それぞれのブランドにはそれぞれの「世界を席巻した時代」が今も残っている。そこにしっかりとした資金が注ぎ込まれ、クオリティが維持されるとなれば「正しいイギリス車」が生まれ、魅力を発散するわけだ。
その筆頭はやはりMINI。BMW初のFF車として開発が進み、佇まいはオールドMINIを継承する。その絶妙さ加減は実に魅力的だ。
さらに最近、SUVのFペースまで投入したジャガー。本来はサイドカー製造からスタートしたジャガーは、庶民的なメーカーだった。だが、多くの研鑽を積むことによってクルマ界の貴族であるロールスロイスやベントレーと肩を並べようとしている。
徳大寺有恒さんは「その過程は自らを律しながら成長していったジェントリー(貴族)等のようであり、野暮から粋へ至るまでのイギリスのダンディズムがそこにある」と言っていた。
正にジャガーの魅力はそれであり、常に挑戦をやめないところにある。また同グループのランドローバー共々、かつての植民地に買われた、などという人もいるがダンディズムまでは売り渡してはいないはずだ。
一方の生まれながらの貴族、ロールスロイスといえば、今後も十分に「クオリティの維持」に努めればいい。誰の真似をするでもなく、贅の限りを尽くして「最良」を作ればいいし、現状はそれを実現してくれている。
もちろん、親会社や経営母体は違っていても、よりパーソナルな立ち位置となるベントレーも状況は同じ。最良を維持してくれる限り、本物の上質を知る人々に支持され続けるはずだ。
今のイギリス車は相当なレベルにある
また「安価な高級は存在しない」という真実があることを教え、そして証明してくれるのもイギリスの高級車である。
ロイヤルワラント(英国王室御用達)の中にロールスロイスだけでなく、アストンマーチンも含まれているのだが、それは高い動力性能を持ったスポーツカーという単純なベクトルではなく、上質さを持った上での官能的性能があることの証明である。
もちろんロータスのように比較的安価(それでも十分に高価だが)なスポーツカーもイギリス車の得意とするところであり、一度は所有してみたいと夢見ることが許されるライトウエイトスポーツの雄。
あとは中国企業が利益だけでなく、車文化をしっかりと理解し、支え続けてくれることを祈るだけである。
カーグラフィック初代編集長の小林彰太郎さんは「最高級と最廉価に乗ればその国の車がわかる」と常々お話しされていたらしいが、その言葉を信じるとすれば、今のイギリス車、相当なレベルにあると思うのだがどうだろうか。