「自動車をみんなのものに」という願いから50年前に生まれたセダン。「花の冠」を意味する「カローラ」は現行11代目まで作られ、国民的車、と言われた時代も。そこで、カローラのお話を。
初代の計器盤は二つあった
扇形やバー式の速度計をメインとした計器盤が主流だった66年当時、丸型2連メーターを採用したのが初代カローラ。
デビュー当初は計器盤がダッシュボードから飛び出た雰囲気だったが、後期で一体タイプに変更。68年に対米輸出を開始したり、カローラ・スプリンターを発売したタイミングで変更したようだ。速度計の位置も右側から左側に変更されている。
初代ですでにバニティミラーを装備
初代カローラデビューの66年、グレードにもよるが運転席だけでなく助手席にもサンバイザーがついているのは珍しかった。
その助手席側サンバイザーの裏側にカタログでは、お化粧用、としてミラーが用意されていた。これは今時の「バニティミラー」。カタログでも「ぜいたく」と表記され、当時の最先端装備ともいえる。
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レザートップをまとった二代目
2代目クーペにはレザートップが設定された。これは天井部やA/Cピラーの表面に合皮を張った仕様のこと。幌馬車時代の名残とされ、アメリカで広くもてはやされた。
高級車の証として70年頃にはクラウンなど他の日本車でも設定はあったが、カローラクラスでの設定は珍しい。対米輸出を強く意識した証だろう。
スプリンターは二代目でカローラから独立
カローラ・スプリンターは流麗なクーペスタイルを採用するカローラの派生モデルそして68年にデビュー。カローラの派生ながらカローラ店ではなく、オート店(現ネッツ店)、を新設し扱われた。
カローラの2代目登場と同時にモデルチェンジを実施し、ここで、スプリンター、として独立。当初は2ドアクーペのみ。
カローラはスポーツイメージ重視?
カローラ・スプリンターは二代目で、スプリンター、として独立、というのは前述の通り。そしてカローラには兄弟車のクーペを設定。
外観をカローラと異なる感じにして、デラックスには無反射ガラスを採用したバーメーター式のスピードメーターを採用。カローラクーペと異なりエレガントさを訴求しようとしたのだろう。
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三代目デビュー当初は二代目が併売された
日本では新旧併売は珍しく、最近では三代目プリウスデビュー時に二代目併売がある。74年デビューの三代目は、デビュー当初は二代目が、廉価モデル、として併売された。
海外市場を本格意識した結果、安全装備の充実などで価格上昇が顕著になったためのようである。そんな三代目には「30(さんまる)」という愛称がついた。
クラウンと同じドアハンドルを採用
三代目では、ケース付きドアアウトサイドハンドル、というものを採用。クラウンにも採用されているドアハンドルであり、ドア埋め込み式にして安全性を高くするだけでなく、上級イメージの演出にも効果を発揮。
当時のコロナにも同じものが採用され、同世代のライバル車に細かいところでもさりげなく質感に差をつけていた。
カローラセダンのインパネセンター部の掟
歴代カローラセダンでは「掟」というか、「お約束」が存在する。そのひとつがインパネセンター部のレイアウト。
オーディオスペースが上段に、その下に空調操作パネルがレイアウトされるのが5代目を除き貫かれている。
オーディオはラジオの選局切り替えなど頻繁に操作されるが、空調は操作頻度が低いためというのが理由。
スイッチレイアウトは見える位置を厳守
カローラの決まりごとの一つに、「ステアリングを握ってもスイッチ表示が見えること」もある。
4代目では中間グレードのGL以上には2本スポークステアリングが採用され、スイッチ位置と合わせてよりスイッチ表示が見やすいようにしている。
ちなみに装備が増えスイッチが多めになった現行モデルでも、スイッチの絵柄は確認可能なレイアウトになっている。
音にこだわりあり
数千万円する欧州のスポーツカーほどではないものの、カローラは意外なのだが、「音」にこだわって開発されている。例えば4代目では「おっ」と驚くほどの高級感のあるドアの開閉音が実現されている。
Cピラー部に車内の空気を抜くベンチレーターを設定し、空気抜け、を良くして、ドアストライカーの部分での消音対策もしっかり施して、心地よいドアの開閉音を実現。細い部分の工夫も盛り沢山。
ジウジアーロが手がけたという都市伝説
4代目はセダンではシリーズ唯一丸目4灯式ヘッドライトを採用。平凡な3ボックスながら飽きのこない面構成。
ウィンドウ開閉のレギュレーターハンドル位置、中間グレード以下の凝ったメーターデザインなど日本車離れしたデザインに「ジウジアーロがデザインしたのでは?」という話が出た。が、その確証はなく都市伝説か?
北米では豆腐屋仕様がカローラだった
カローラ兄弟車としてのスプリンターの存在が有名なのは日本に限った話(国内専売モデル)で、輸出モデルでは名乗るモデルではない。
当時海外のメイン市場だった北米では、4代目と5代目の日本ではスプリンタートレノと呼ばれたモデル(リトラクタブルヘッドライト採用)を「カローラGT-S」と称して販売していた。
AE86の人気は偶然の産物
AE86はセダンがFF化されるなか、TE71のシャシーなどをキャリーオーバーしてFRのままモデルチェンジ。
トヨタはカローラとあわせコロナやカリーナも総括してFF化を進めており、いずれも当時のクーペはFRのまま。
手頃なFR中古車、となると競技用車や「走り屋」などにも注目され、今日の人気を築き上げている。
5代目販売苦戦は掟を破ったからか?
前述の通り、オーディオの下に空調操作部がレイアウトされるのが慣例のカローラ。5代目がその慣例を破ったのはダッシュボードのデザイン処理との関係という。
この5代目はFF化第1弾のモデルだが、販売はかなり苦戦。4代目が大ヒットした影響などもあるが、「掟を破ったからだ」とする車も数多くいる。
サンバイザーの裏にもファブリックを張った
シリーズ最高の販売台数を記録したのは6代目。6代目のSEリミテッドなどの上級グレードではサンバイザーの裏にもファブリック(布)が張られた(ライバル車はビニール張り)。
当時の販売経験者によると「ライバルにはない高級感ですよ」と、ここを指摘すると注文が取れたと言う。
SE-Lを名乗ったらクレームが来た
セダンでは六代目で上級グレードに「SE Limited」を設定したが、7代目デビュー時にはこれを簡略化して「SE-L」と車体後部にエンブレムを装着。が、デビュー後間もなく「SE Limited」と変更。
当時「某ドイツの高級ブランドからクレームが来た」とは聞いていたが、その後複数の関係者に聞いてみると事実だったようだ。
日本車初のフルカラーパッケージ
初代カローラFXは84年にデビュー。「2BOX上級生」のコピーで人気モデルとなった。
バンパー、ドアミラー、サイドプロテクターなどをボディ色と共通化したフルカラースポーツ仕様というオプションが上級グレードに設定されたが、これは日本初の設定。
これ以降軽自動車やライバル車など各メーカーへ広まっていった。
無塗装バンパー部分をディーラーが塗装
八代目では「環境志向やコスト」というものが強く意識され開発された。それもありバンパーは塗装部分と無塗装部分(黒)の2分割タイプを採用。
ただお客の反応は「安っぽい」など厳しい。そのためすぐ無塗装部分も塗装される改良が入ったが、それを待ちきれなかった各ディーラーが無塗装部分を着色して販売していた。
ソフトパッドが樹脂製に変わっても
関係者によると、「カローラでは計器盤の上の、ひさし、がありますよね。そこにソフトパッドを代々採用してきました」という。
ただし、コストの関係もあり10代目からは硬い樹脂製に変わったが、質感は維持している。これは新車を見に来たお客が展示車や試乗車の運転席に乗り込むと、最初に、ひさし、あたりの材質を触って確認することが多いので、この部分はこだわって採用を続けてきたとのことだ。